
AIを用いた高度な計算や膨大なデータ処理が可能となった今、AI分析による技術革新が加速し、AI分析で扱えるデータの種類も増えている。一方でまだあまり研究が進んでいない領域があるのも事実であり、脳波や筋電位といった生体信号もその一つである。生体信号はノイズを含んでいることが多く、解析技術の発展がなかなか進んでいないのだ。しかしAIを使って生体信号をより高度に分析できるようになれば、身体能力のサポートや暗黙知の転移など、人間の能力の補完・拡張につながる可能性がある。そこで今回、走行中のスケートボーダーから記録した生体信号を用いて、脳波や筋電位から挙動を予測するコンペティションが開催されることとなった。工学知識に加え、生理学知識や電磁気学知識など多領域の知識を必要とされるコンペティションであるため、その難易度の高さに参加者たちは頭を悩ませた。 そんな本コンペティションで、テーマ1の「スケートボードトリック分類チャレンジ」にて2位に入賞した川上勲さんは、本職でシステム開発のシステムエンジニアとして働きながら本コンペティションに臨んだという。果たして、今回のコンペティション参加の動機とは何だったのか。そして、どのようにして入賞に漕ぎ着けたのか。取り組みにおける工夫、参加で得られた学びについて率直に伺った。
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まさに求めていたとおりのコンペティションを見つけ、心踊った。
数年前に、社会人大学院に通って人工知能の研究に取り組む中で研究活動の面白さを知り、その後も個人で研究を進めたいと考えるようになりました。特に、身内に言語障害を持つ者がいたことから、脳波を使った研究に関心を持つようになりました。しかし、個人で研究を進めるには、倫理審査を受けられる機関を見つけることや、先行研究を調べるための論文を購入する費用など、いくつもの課題があり、研究計画や予備調査の段階で止まってしまっていました。そんな時に、脳波研究を進めるためのオープンなデータを探している過程で、このコンペティションの存在を知りました。一般的に、脳波データの収集には高額な機材やソフトウェアライセンスが必要となり、個人での取得は困難です。このコンペティションでは、すでに収集されたデータを活用できる点が最も大きな魅力でした。また、研究発表の場ではなく、コンペティションという形で脳科学研究の専門家からフィードバックをいただける機会でもあり、良いチャレンジになると考えて参加を決めました。
脳波を扱うということは、意識と無意識の区別に注意しなければと思った
今回のコンペティションでは、未処理の脳波データと、計測由来のノイズを除去したクレンジングデータの2種類が提供されました。これらデータをチュートリアルに沿って検証したところ、ノイズを除去して良質なはずのクレンジングデータを使った場合の予測精度が、未処理の生データより低下するという、予想外の現象に気づきました。 この結果について、主に2つの可能性を考えました。1つ目は、クレンジング処理でデータを単純化しすぎているのではないかということです。脳波には「こう動きたい」といった意識的な活動の信号と、環境からの刺激への反応や身体制御などの無意識的な活動の信号が含まれています。意識的な信号を解読する観点からは、この無意識の信号もノイズとして除去できるのではないかと思います。ただ、計測由来のノイズを除去するクレンジング処理を強くかけすぎますと、かえって意識と無意識を識別する特徴が失われる可能性があると考えました。2つ目として、脳の部位によって、適切なデータの種類が異なるのではないかと考えました。つまり、部位によって、詳細な情報を含む未処理データが有効な箇所と、全体的な傾向を示すクレンジングデータが適している箇所があるのではないかということです。 そこで、クレンジング処理の程度をどの程度にすべきか、また部位に応じてどのようにデータを使い分けるべきかについて、調査を進めることにしました。
実際の研究を進めている想定で、問いを立てるところから進めていった。
これらの可能性を検証するため、研究論文で一般的に用いられるIMRAD(序論・方法・結果・考察)の構成に沿って分析を進めることにしました。今回のコンペティションでは、予測モデルの構築に加えて、分析プロセスと考察を含むレポートの提出が求められていました。そこで、研究論文の形式に則って進めることで、順序立てて確認できるのではないかと思ってのことです。そしてまず、クレンジング処理の影響を調べるため、フィルタリングの強度を変えながら精度への影響を確認し、過度なクレンジングは逆効果であることを確認しました。同時に、脳の部位ごとの特性を把握するため、72個のセンサーについて、生データとクレンジングデータそれぞれの予測精度への寄与度を遺伝的アルゴリズムで分析し、これらの結果を使って最終的なモデルを作りました。 またコンペティションの開始は7月でしたが、実際の調査開始が10月となり、約3週間という限られた期間での取り組みとなりました。そのため、「検討項目を絞る」「仮説と検証のバランスを取る」という2点を常に意識して進めました。例えば検証していく中で、センサーごとに生データとクレンジングデータを使い分けることで精度向上が見込めることが分かりました。そこで超解像度のようなモデルを用いて、クレンジングデータから生データを復元し、それらを組み合わせるという案を考えたのですが、最初に決めた範囲を超えてしまうので、見送ることにしました。結果、短時間にストーリー立った検証が進められたと思います。
脳波を扱うということのリアルを知れた、それが一番の収穫だった。
入賞は嬉しく思いましたが、研究の一環として挑んだため、脳科学の専門家による評価に関心がありました。表彰式は公式な場なので、肯定的な評価のみ伺うことができましたが、研究の改善点や方向性についての助言も得られれば、さらに学びが深まったと感じています。 このコンペを通じて、脳波データの活用に関する多くの知見を得ました。以前、脳の検査に使うfMRIという大掛かりな機器を用いて、脳内で思い描いたイメージを再現した研究を見たことがあり、頭部センサーでも同様の精度を期待していました。しかし、データの粒度が荒く、個々の思考を詳細に再現するには限界があると実感しました。 こういった限界を踏まえて、脳波から精細な意図を読み取るのではなく、ヒヤリハットのような感情の揺らぎを検知する方向性が見えてきました。これを基盤モデルとして公開し、アプリケーションと組み合わせることで、実用的なシステムが構築できると考えています。例えば、文章入力時の誤変換に対する躊躇を検知し、変換精度向上の学習データとして活用する応用が考えられます。 また、認識精度に対する課題も明確になりました。計測由来のノイズを除去したクレンジング済みデータでは十分な精度が得られず、ノイズ除去の過程で、無意識的な活動を示す脳波を区別するための情報まで失われている可能性が見えてきました。今後は、環境要因を考慮しつつ、無意識の部分を適切に分離することで、精度を上げることができるのではないかと考えています。 今回の経験を通じて、社会実装を意識した脳波データの研究を進めていきたいと考えるようになりました。そのため、賞金を活用してセンサーを購入し、日常生活での継続的なデータ収集を行い、基盤モデルの構築を進めることを考えています。
コンペティション参加を検討している方へのメッセージ
コンペティションの課題を読むと、各業界の専門的な用語などに圧倒され、参加することにハードルを感じる方もいるかもしれません。私自身、コンペティションには関心がありましたが、自分の興味に合うテーマに出会うまでは、なかなか参加に踏み切れませんでした。しかし実際に挑戦してみると、教材やサンプルプログラムが充実しており、すべてをゼロから自力で解決しなくても、サンプルの解法に自分のアイデアを加えて試すことができるとわかりました。さらに、試行錯誤しながら実データで実験を重ねることで、業界知識や技術的な理解が驚くほど短期間で深まりました。これまで知らなかった分野にも触れることができ、自分の視野が広がったと感じています。このような経験ができると知っていたら、もっと早くから参加していたと思います。コンペは、競争の場であるだけでなく、「実践を通じて学べる場」でもあります。興味がある方は、まずは一度チャレンジしてみるのがおすすめです。専門知識がなくても学べる環境が整っているので、気軽に試してみてください。